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作曲家シリーズ♪【フランツ・リスト】その1♪

フランツ・リスト【Franz Liszt(ドイツ語)Liszt Ferenc(ハンガリー語)】
1811-1886
フランツ・リスト
元祖イケメンアーティスト♪」のフランツ・リスト♪


リストが生まれたのは1811年10月22日
ハンガリーのライディング(牧歌的な明るい、ぶどう畑に囲まれた村。現在のオーストリア)
という田舎町。


時代は、無敗を誇っていたナポレオンが、スペインでついに破れ、
ヨーロッパ制覇の野望に翳りが見え始めた頃・・・


その当時の日本は・・というと、江戸時代で、
将軍は、11代徳川家斉(とくがわ いえなり)。


まだまだ「鎖国真っ最中」で、
西洋の音楽なんて勿論、入ってきておりません~・・・


さて、そんな頃生まれたフランツ。
何度も命に関わるような病気に罹ったりして、大変病弱だったようで、
棺桶まで作られたこともあったのだそう。


父アダムは、豪族エステルハージー家(ハイドンも遣えていたお家)に遣える役人で、
そこの一番のお偉いさん♪
(音楽も「半分アマチュア」みたいな感じでやっていたそうです。音楽愛好家ですね♪)


父アダムと母アンナの、たったひとりの息子で病弱だったリストは、
ほとんど学校も行かず隔絶されて育ったのだそう。


いわば、お金持ちのひ弱な「お坊ちゃま」だったんですね~♪
やはり見た目、気品ありますもんね


で・・・
リストは、ハンガリーで生まれているので「ハンガリー人」だと思うのですが、
父アダムはドイツ人、母アンナはオーストリア人だった上に、


幼い頃、すぐにウィーンに移住したりしたこともあって、
死ぬまでハンガリー語は一言も話せなかったらしいです。(フランス語が一番話せた)


でも「リストはハンガリー人」ということになっているからか、
リストの楽譜は「ブタペスト版」が良い♪って言われてますよね♪


コチラ、そのリストの「ブダペスト版」↓
007_20140130002530416.jpg
少々・・・いや、かなり・・・お高いですが


さてさて、そんなリストが、最初にピアノの手ほどきを受けたのは、
やはり音楽愛好家の父からで、4~5歳の頃


そして、非凡な才能を見せたのが6歳の頃


父アダムがリース(ドイツの作曲家)のピアノコンチェルトをピアノで弾いて聴かせると、
6歳のリストは、たった1回聴いただけで、すっかり覚えてしまったようで、


その後遊びに出掛けて帰ってきてからも
ずっと、その主題を口ずさんでいたのだそう


さらに、ピアノを始めてわずか2年で、
ありとあらゆる曲を弾きこなし、一度見ただけの楽譜を、
信じられないような正確さで演奏した
という・・・


「天才」「神童」と呼ばれる人は、
みな幼少期にこうゆう逸話がありますよね。


「神童あらわる」と大騒ぎになったリストの、
生涯最初の公開演奏会は、9歳の時


さらにさらに・・・
その翌月に行われた演奏会で、幼いリストの才能に感嘆した地元の貴族たちが、
音楽の勉強の為の、資金給付を申し出てくれて、


リストはさらなる音楽の勉強を続けることが出来るようになり、
世界に羽ばたいていくのである・・・


つづく♪

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作曲家シリーズ♪【J.S.バッハ】その③

♪作曲家シリーズ♪【J.S.バッハ】その③


随分、間が空きましたが(空き過ぎだろう・・・
「作曲家シリーズ」のバッハ編、続きです♪


作曲家には、その作曲された楽曲から、
あるイメージ」が付いていることって多いですが、


そのイメージをくつがえすような、
実際は、こんなヒトだった・・
というようなエピソードがあったりします。


小学生や、思春期の中高生にも、
ちょっと刺激が強すぎて、どう説明していいか・・・
と思うような逸話もあるのですが


そういう事を聞くと、
「へえ~・・・そうなんだ
興味を持てるので、知ることはかなり重要かな♪と思っています。


で・・・


バッハは勤勉だった
と書いていたと思います♪


まだ初心者の頃に弾く、メヌエットなどでは、
あまり感じないかもしれませんが、


どんどん上達していって、
インベンション、フランス組曲、シンフォニア・・・
平均律、イギリス組曲などなど、弾いて行きますと、


納得」と思いますよね♪


緻密で入り組んでいますから、
楽曲分析もしながら、声部を弾き分けて、
正確にきちんと」弾かないと、曲にならないし、
何がいいたいのか分からない」。
ピアノが本当に上手いかどうかすぐわかる
んですよね♪


勤勉で真面目な人しか、こんな「ごまかしの効かない曲」書かないだろ~・・・
と、思いますよね♪


私は、このバッハの、
ごまかしが効かず、上手い下手がよく分かる
という部分が、とても好きで、


昔から「バッハ大好き~」と言って、
周りから引かれてきました


難しいし時間もかかるので、
どちらかというと「あまり好きではない
と言う方が、友人・知人でも多いですから~・・・


前置きが長くなりましたが・・・


バッハ(Bach)、
ドイツ語で「Bach」=日本語で「小川
と言う意味です。


つまり「バッハは小川さん」な訳です。


コレ、知った時、「おー
と思った私。


「そんなポピュラーな名前だったんですね?!


あの「白い巻き毛はカツラ」で、より白い方が恰好良かったらしく、
頭に小麦粉を降りかけていた・・・」とか、


そのカツラの下は「丸坊主」だった・・・
とか、


食にこだわり、今からしても物凄く豪勢で、
カロリーの高い食事を摂っていたらしい・・・とか、
(だから肖像画はでっぷりしてますよね?


へええ~・・・♪
と、思うようなエピソードがたくさんあります


楽曲について詳しく・・・♪
も良いですが、こういう「雑学」も面白いですよね


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作曲家シリーズ♪「J.S.バッハ」その②

♪作曲家シリーズ♪【J.S.バッハ】その②


バッハは2度結婚しています(*^^*)。
かなりの子だくさんでした。


1707年、22歳の時、バッハは1歳年上の従姉「マリア・バルバラ」と結婚し、
2人の間には7人の子供が産まれます。


バッハ35歳の時、マリア・バルバラが病死し、
翌年16歳年下のソプラノ歌手「アンナ・マグダレーナ・ヴィルケ」(大変有能な声楽家であったらしい)
と再婚し、2人の間に13人の子供が産まれ、バッハの子供は20人となりました。


特に、再婚したアンナ・マグダレーナとは音楽で心を通わせ、
とても仲睦まじかったようで、


アンナがバッハの楽譜を写譜するなど、バッハの音楽に大変な理解を示しました。


彼女に捧げられた楽曲が「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィ―ア曲集」で、
ほとんどがバッハの息子たちの教育用に作曲されたもので、
とても可愛らしい、美しい小品が多いです。


バッハの息子達の中で3人が音楽家になりましたが、
その中でも、フリードリッヒ大王の宮廷音楽家になった次男の
カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ」と、


モーツァルトに影響を与えたと言われる末息子の
ヨハン・クリスチャン・バッハ」が有名です。


バッハが活躍したバロック時代(後期)は、
バッハの作品別に分けて「ワイマール時代」「ケーテン時代」「ライプツィッヒ時代」の、3つの時代に分けられます。



使用された鍵盤楽器は、主に「クラヴィコード」「チェンバロ」などで、
音域は現在の鍵盤楽器の代表であるピアノの約半分で、4オクターブ程でしたが、


1717年~1723年のケーテン時代には、
「ブランデンブルグ協奏曲」など、数多くの傑作が生まれています。


バッハの時代は「作曲家=音楽家」の時代で、
音楽家は皆作曲をし、その楽曲を演奏、指揮しましたから、大変な忙しさであったと推察されます。


バッハの作品についている番号「BWVacherke erzeichnis)」
を、覧になったことがあるかと思いますが、


これは年代順ではなく作品別に編集され、番号が付けられています。


皆さんが、ソナチネ辺りから始める、
15曲の2声のインベンションはBWV772~786。


15曲の3声のシンフォニアはBWV787~801となっています。


お手持ちの楽譜で確認してみて下さいね(*^^*)♪


バッハは38歳の時、ライプツィッヒの聖トーマス教会のカントル(合唱長)となり、
ずっとこの職にとどまりました。


そして「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「教会カンタータ」など、
年に60曲ものミサ曲を作曲し、150回もの指揮を精力的にこなしました。


*次号に続きます(*^^*)♪*

                    
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作曲家シリーズ♪「J.S バッハ」 その①

【お知らせ♪】
以前のブログでも、作曲家について書いてましたが、
また少しずつ書いてまとめて行きたいな・・・と思っています(*^^*)。


大学で勉強したことに、自分でも調べたことも取り混ぜてまとめています♪


学校での課題で、作曲家について調べなきゃいけない方は、
これを参考になさって頂いてもよいのですが、
丸っきりの「丸写し」では、何も覚えられませんし、自分のためになりませんから、


きちんと自身で調べ研究したうえで、あくまで「参考」として下さいね(*^^*)♪

 ↓        ↓        ↓        ↓        ↓
       
 

【John Sebastian Bach (ヨハン・セバスチャン・バッハ)】
(1685~1750)
バッハ 250
バッハは、1685年3月21日、ドイツ中部の小都市アイゼナハで、
音楽一族に生まれます。


バッハ家は代々優れた音楽家を出した家系で、
200年の間に53人もの音楽家が出て、ドイツ各地で活躍しました。
(スゴイですね~200年で53人ですよ


バッハは8人今兄弟の末っ子で、この一族の中で最大の音楽家となり、
のちに「大バッハ」と呼ばれました。
(血筋が良いと、その中で特に突出した人物が出ますよね~
バッハは、その典型ですね(*^^*))


バッハは音楽だけでなく、学校の成績も良かったようで優等生だったそう。
(そうでないと、あんな素晴らしい楽曲をたっくさんかけないよね~・・・!と思います)


ところが、バッハが9歳の時、5月に母が、翌年2月には父が亡くなってしまい、8人の兄弟は親戚にばらばらに預けられることになります。
(このことは、大変バッハに大きなショックと与え、その影響も大きかったようです)


バッハは、優秀な音楽家であり、教会のオルガン奏者だった長兄のヨハン・クリストフに引き取られ、
鍵盤楽器演奏の基礎を学びます
(ココですね!!
これがなければ、バッハがあれほど素晴らしい、鍵盤楽器のための楽曲を多数書けなかったと思います)


とても勉強熱心だったバッハは、兄の貴重な楽譜を、毎晩月明りで半年もかけて書き写し
目を悪くしてしまい、手術を2回したのですが良くはなりませんでした。


この目を悪くし、手術に失敗したことが、バッハの寿命を縮めた・・・と言われています。


65歳で亡くなったバッハ。
それでも当時としては長生きだった訳ですが、
目の手術に失敗しなければ、もっと長生きしたであろう・・・と言われています。


とにかく勉強家だったバッハは、有名な音楽家の演奏会に行っては、
直接作曲家に質問をするなどして、様々な様式や正しい作曲法を学んでいきました



15歳で北ドイツのリューネブルクの聖ミカエル教会の聖歌隊員となり、
18歳でザクセン=ヴァイマール公弟ヨハン・エルンストの宮廷楽士となり(スゴイ!!)
アルンシュタットの新教会オルガニストに就任します。


この教会には、大変立派なオルガンがあり、
バッハは精力的に演奏や作曲に取り組みました。


有名な「トッカータとフーガ」(この曲好きです)は、
この時期、20歳の時の作品です。  


*次回につづく*


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